2013年1月1日火曜日

北東アジア諸国の国民性から考える日本人の強み、歴史問題

韓国に行って驚いたことがある。
例えば憲法9条の改正議論。

日本にいる時は、韓国や中国などアジア周辺国は
憲法9条の改憲に極めて敏感で、
これを変えようとするなら、大きな反日デモがおきかねない。
そんなイメージを持っていた。

しかし、実際ソウル大学の安全保障の授業で、
同世代の学生と議論してみると、
日本の9条改憲という主張は、さほど反発なく受け入れられる。

特に、兵役を経験して大学院に来ている28歳前後の学生達には、
日本の国際情勢の認識なども交えて説明すれば、
むしろ日本の9条改革を支持してくれた。

自前の軍隊を持ち、国益に応じて海外に派兵を行っている韓国の学生からすれば、
日本も軍隊を持つのは普通のことであり、
そこに戦前に関連するアレルギー反応は見られない、ということかもしれない。

日本にいたころと違ったのは、竹島でも従軍慰安婦の問題でも同様だ。
確かに、学生の間でも日本以上に関心の高い問題であるが、
こちらに理があると思ったことを説くことで喧嘩が生じるとか、
仲が悪くなるといったことはなかった。

日本人として、思うことははっきりと主張していいと学んだ。
しかし同時に、韓国や中国と比べた日本の違いも認識した。

僕は、北東アジアの人々と比べると日本人は抜群に論理的、もしくはきめ細かいと思う。
これは、中国や韓国の学生とグループ発表をやるなどの経験を通して感じたことだ。

日本人は基本的に物事の繋がりに敏感で、筋が通らないことを認めない傾向が強い。
これは一握りの人がそうというわけではなく、日本人全般に言えることだと思う。
日本人はきめ細かで、物事の繋がりをきっちりと考えていく。

それに比べ、中国の学生は、日本人の僕から見るとよくロジックが「飛躍」する。
しかし、常に大局や本質を見た上で重要なポイントや大きな方向性を示すことに意を払っていたという印象だ。
そして韓国の学生は日本と中国の中間。
適度にロジックを「飛躍」させながらも、クリエイティブ、かつ意思決定のスピードが速い。
(日本人としては、細かいが重要だと思われるポイントを指摘する場合はタイミングに配慮し、
グループの方向転換を主張する時は、できるだけ本質論になるよう説明の仕方を工夫すると上手くいくことが多かった。)

ちなみに、これらの違いは国家運営の方針にもあらわれていると思う。
日本では、何か改革を行う前に、徹底的に問題点を洗い出し、その対応策を検討して、合意形成を行う。
TPPへの対応などもその例ではないだろうか。
これに対し、韓国では「見切り発車」も多い。

例えば、自由貿易協定では既にEUとアメリカとFTAを締結しており、そろそろ中国とのFTAも締結しようとしている。
また、日本よりおそく始まったロースクール制度であるが、ロースクールの数は厳しく制限されており、
新司法試験の合格率は高く、ロースクールが設置された大学の法学部は廃止されている。
(ただし、司法試験合格後の就職難が日本以上に深刻だという話も。日韓とも新司法試験の合格者は約2000人。)
さらに、アジア通貨危機後はIT化の波に乗るために財閥の統廃合によりサムスンやLGを生み出した。
現在の韓国ではWiFiが非常に普及していて、チェーン店のカフェでも登録不要かつ無料でネットを利用できる。
しかし一方で、大企業の一人勝ち構造が生じており、中小企業が弱く、国内の格差が日本以上に大きい。

話を戻そう。
歴史問題の対応についても、国民性の違いを考慮する必要があると思う。
日本人にとって、筋が通らないことでも、
韓国や中国の人からは、
「やたらと細かいことをあげつらい、結局のところ言い訳なのでは」
と思われていることは、慰安婦問題や領土問題の構造とも重なる部分があると感じた。

日本人としては当然つながらないと思えることでも、
国際社会の基準でみると、「つながる」ということはあるのかもしれない。
自分の強みに絶対の自信を持ちつつ、
それを世界標準と思わず、
謙虚に世界の「平均値」を学ぼうとすること。
世界を知り、己を知ることで、自分たちの強みをより効果的に活かすことができるようになるはずだ。

日本人の論理性や緻密性はピカイチだと思う。
主張すべきことは堂々と主張する一方で、
大局観を意識し、時には大きな視点から論理を「飛ばして」みせる雅量とハートも、
これから北東アジア諸国との関係を進める上で、
僕たちが意識していくべきことではないだろうか。

同時に、日本と向き合うことになる海外の方々には、
日本人は感情的だから「細かい」のではなく、
日本人の感覚では「論理的でない」と思うことには納得できない
と主張している場合もある。
ということを理解して頂ければ、話し合いがスムーズになると思う。

困難な課題を乗り越えるためには双方の歩み寄りが必要なはずだ。

そろそろ桜の季節ということで、아침(アチム) - 불꽃놀이 (花見)
※高音質版はこちらの方のブログのlist⇒3曲目にあります。

将棋vs象棋の尖閣問題?


あっという間にソウル大学での一学期が終わり、
冬休みである。

寮の生活とは楽しいものだ。
将棋、チェス、象棋(シャンチー。中国版の将棋)、
日本から来た後輩や中国からの留学生とのバトルが熱い。

さて、将棋やチェスにはその国の軍事思想があらわれていると思う。

将棋の最大の特徴は、前線で戦略物資を調達できること。
攻めて敵のコマを取れば、そのコマを使って更なる攻撃に繋げることができる。
これが、劣勢からの逆転を可能とさせるゲームの要素で、
将棋ファンを魅了させる一つのポイントだ。
しかし、これを実戦にあてはめると、補給軽視であるとか、奇襲重視だとか、
なかなかリスキーな体質を生むことにも繋がるのではないだろうか。

尖閣問題でいう公務員の駐在は、将棋で言うと、「持ち駒の投入」にあたると思う。
硬直した状況に対処するための一手としては手堅い。
しかし同時に、外交的には更なる挑発と受け止められかねず、
「戦闘開始」のゴングともなりかねない。

対する中国。象棋ではどうか。
象棋には防御という発想が乏しい。
将棋で言う囲いの陣形もなく、
友人も言っていたが、「攻撃が最大の防御」である。
象棋をプレイしてみると、
初手から「砲」と呼ばれる敵のコマを飛び越える飛車や、
「車」と呼ばれる二つに飛車を使っての、
激しい攻め合いが行われる。
要するに、やらなければやられるという世界である。

将棋と象棋。守りの一手が先手の初手と解釈されれば、
なかなかリスキーな展開になりそうだ。

ただ、現実の世界では、
僕が接した中国の留学生たちは
基本的に大人しい子が多かったし、
実際話してみるといいヤツが多かった。
これは韓国の学生でも同じで、
儒教の影響なのか、ソウル大学で出会った中韓の学生は、
温厚で懐が大きいという印象である。
対する、僕や後輩など日本勢は武士の国なのか、
気概というか、尚武の気を尊ぶ傾向にあるように思う。

日本の指導者には勇ましい発言をする方々が多いが、
中国や韓国の指導者層が同じく尚武の気風を重視するかどうかは、
日本の状況の類推だけからは判断できない。
武士道より、儒教の影響を見るべきではないだろうか。

尖閣問題については、
先占の法理は日本の武器になると思うが、
双方の事実認識と法律論があるのが訴訟であり、
ICJに問題を持ち込んだ場合には、
敗訴のリスクも一定程度覚悟せざるを得ないだろう。

尖閣は地政学上の要所だと思う。
今実行支配しているこの地を、
ICJに持ち込むことで敗訴リスクを抱えるのは賢明な選択だろうか。

同時に、中国における日本企業の活動や日中貿易も重要である。
領土問題をこじらせて再度の大規模なデモを誘発することは、
国益に叶う選択だろうか。

実行支配した上での棚上げの意義は、もう一度見直されてよいと思う。

最後に、日中双方の未来のためには、
両国の人々が双方の立場を理解し、
穏健な判断ができるようになることが第一歩であると思う。
キャンパスアジアプログラムに参加させて頂いた学生の一人として、
微力ではあるが力を尽くしていきたい。

新華社
http://jp.xinhuanet.com/2012-09/25/c_131871899.htm
外務省
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html

おまけ
象棋の遊び方
http://www2.tba.t-com.ne.jp/xinlamian/zhongguoxiangqizoufa.html
コンピュータとの象棋対戦
http://www.4399.com/flash/48747_1.htm

※最近後輩と話していて思ったこと
 日本の学生に気概のようなものがあると思われるのは、部活の影響もあるのかもしれない。
 海外の学生と日本の学生を比べると、語学など、弱い部分が目につくことが多いが、チームワークとか気合みたいなところは結構、日本人学生の強みなんじゃないかとも思える。中韓では部活はあまり盛んでなく、基本的に大学受験の勉強や語学の勉強中心とか。日本の部活は問題点もあるのかもしれないが、かなり重要かつ日本教育の特徴となっている部分だ。
 ちなみに、韓国では兵役が、日本の部活の「代わり」として機能していると考えることもできると思う。(兵役の方が確実にハードだと思うが。)