2013年3月30日土曜日

尖閣諸島 日中双方の主張

 日中双方がICJに領土問題を提訴したらどのような主張をし、どのような判決が下るのだろうか?これまでの日中双方の主張をまとめながら考えてみたい。

◆1歴史(中国側立論)
 双方とも歴史上尖閣諸島は自国の領土だと主張する。ただし、この歴史がいつを起点とするかは日中双方で異なる。日本の場合は尖閣諸島を編入した近代を起点とする。一方中国は古代を起点とする。
 中国は多数の古文書を持ち出して尖閣諸島の存在を古代から認識しており、自国の領土と考えてきたと主張する。これに対し、日本は一つ一つの古文書の解釈や信憑性に疑義を提起するだろう。
 この点に関しては、「日本より先に中国は尖閣諸島の存在を認識していた(場合によっては+自国領と考えてきた)」という主張をICJは認定するのではないか。


◆2国際法;実効支配の法理(日本側立論)
 しかし、領有権を決める上で重要となるのは、当事者のうちいずれが先に実行支配を確立したかということである。島の領有権に関わるICJ判決や仲裁判決の多くは実行支配の法理に基づいて出されており、本件でも当法理が適用される可能性が高い。
 この場合、「島に人が住んだ」とか「施政権を及ぼした」などが実効支配確立を判断する基準となる。この点、日本は1895年の編入から人が住んだり、施政権を及ぼしたりしており、1895年以降の実行支配がICJで認められるだろう。
 そこで、いくら中国が上記の歴史上の反論を行ったとしても、①「ICJが実効支配の法理を本件に適用しない」②「中国が日本より先に実効支配をしたと立証する」かのいずれかがない限り、最終的にはICJは日本の尖閣諸島領有を認めることになると思う。


◆3ポツダム宣言受諾による日本側の領有権放棄(中国側立論)
 中国はまた、(仮に1895年以降、一時的にも日本が同島を「不法」領有したとしても)カイロ宣言及びポツダム宣言の受諾により、日本は尖閣諸島の領有権を放棄したと主張することが考えられる。しかし、同宣言によると、日本の領有権が及ぶ範囲は「連合国により決定される」とある。戦後、アメリカは日本に尖閣諸島を返還した。そして、僕が知る限り、これに対してイギリス、フランス、ロシアが反対の立場を表明したことはない。また、中国も71年までは抗議を行はなかった。さらに、現在も日本が尖閣諸島を実行支配している。
 以上の事情を考えると、「ポツダム宣言受諾による放棄」という主張がICJで認められる可能性は低いのではないか。


◆4追認もしくは有効な反論の欠如(日本側立論)
 国際法上、紛争地の実効支配を相手に奪われた場合、それに対する抗議をしなければ、後でその領有権を争うことができなくなる。この点、「国家レベルでの抗議」や「ICJへの提訴に類する行為をしたこと」がこれを為したかどうかの判断の基準となる。本件において、僕が知る限り、中国は1895年から1971年まで上記の抗議を行っていない。
 以上から、中国が抗議を行ったこと、(もしくは抗議を行はなかったことが同法理の適用を正当化することにならないという特段の事情の存在)を立証しない限り、中国はICJで本件を争うことができないという判決が出される可能性もあると思う。


◆5実効支配の法理の検討
 ICJの判例には厳格な意味での先例拘束性はないので、本件でも別の法理が提案されたり、実効支配の法理が適用されなかったりする可能性はあると思う。その場合の予想されるICJのロジックは以下の二つが考えられる。


 ①実効支配の法理が植民地獲得と密接に結び付いた法理であることを認定し、日本の植民地支配を否定するポツダム宣言やカイロ宣言とその受諾を引用しながら、日本の植民地獲得期の歴史に関連して生じた領有権紛争(この点も尖閣諸島がそのようなケースにあたるとICJが認定)に同法理を適用することができないとすること。
 日本人としては受け入れがたい判決だが、第二次世界大戦を世界の他の国々の人々や判事がどのように理解するかによっては、このような判決がでる可能性もあるかと思う。


 ②近代以前の東アジア地域に、西洋諸国の慣行を起源とする実行支配の法理とは別の法理が存在したとし、例えば、東アジア地域に関しては、実効支配ではなく、「発見の順番」や「地図等を通して継続的に自国領と認識してきたこと」を基準として領有権を判断するという新たな法理を打ち出すこと。
 このような判決が出た場合、若干ラジカルな影響を国際法やその後の外交交渉に与える可能性がある気がしないでもないが、このような判断(もしくは①②の複合形態の判断)がなされる可能性もあるかと思う。


◆6実際どのような判決がでるか
 ICJが白黒をはっきりつけるということも可能性としては考えられるが、事実整理や実体面の審議と並行して、あえてすぐには結論を出さず、日中双方に交渉による解決を働きかけるということも、ICJのとりうる行動として予想することができる。この場合は、尖閣諸島が複数の島により成り立っていることに注目して、それぞれの島を日本と中国(場合によっては+台湾)で分割して、新たな国境線を引くように提案するということが考えられる。


◆7まとめ
 以上のことは、全て可能性の話にすぎない。しかし、いずれにせよ、問題の解決や緊張緩和のためには、日中双方の人々が両者のロジックや主張する事実を理解し、双方のロジックの弱点や敗訴の可能性を頭に入れた上で、交渉による解決やICJの判決による解決を受け入れる素地をつくっていくことにあるのではないかと思う。


 ※中国人の友達に「ICJ提訴」の話を振ってみたところ、彼は「日本は敗訴してもその結果を受け入れないのではないか?」と言っていた。個人的には、そんなことはないと思う。中国はどうなのだろうか?

2013年3月21日木曜日

中国と民主主義

◆中国の民主化?
日米両政府にとって中国の民主化は重要な外交目標と授業で習った。
一方、中国の人々は民主化についてどう考えているのか?
中国の学生と議論してみた。

◆まず、中国の問題は汚職である。
例えば、中国ではアパートを買うとき、家をもっていない人には低い税率が適用され、
家を既に所有する人にはそれより高い20%の税金がかかるという制度がある。
しかし、官僚と富裕層の癒着がしばしば発生し、既に家を所有しているのに、
低い税率で新たな建物を購入する人がいるということだ。
先日も北京で偽造された住民カードを19枚ほど使って多数の建物を違法に購入した人が摘発されたらしい。

※ちなみに韓国では、家を借りる時、1年とか2年とかのまとまった賃料を先払いして、
賃貸契約を解除する時に先払いしたお金を返してもらえるという制度がある。
土地の値上がりを前提に大家さんの投資意欲を喚起させるためにつくった制度だが、
最近土地の値上がりが鈍化してきているという話も。

◆この、汚職という問題はなぜ発生するのか。
自分たちなりに考えてみたのは、
①文化的要因;長い歴史を通して中国では癒着が行われてきており、多少の癒着には目をつぶる傾向がある。
※中国ではビジネスをやる上でも政府や大物との人間関係が重要と言われるが、このへんの事情も関係している?
②制度的要因;司法権の力が党に比べて強くない。また、政権交代の仕組みがないため、権力の浄化を行いにくい。
※党による内部浄化の努力が続けられているが、限界がある可能性も。

◆では、この問題にどう対処するのか。
この点に関して、中国では制限的に民主主義を導入することや、党の中の派閥を活用して政権交代(?)を可能にする方法などが提案されているらしい。
また、中国では、中国の歴史や文化にあった独自の統治機構を創っていこうとする勢いが盛んだということだ。

◆中国版民主主義
地域研究の世界では、「単線的な現代化モデル」は否定されている(らしい)。
また、”人類はまだ最高の統治制度をみつけていないが、民主主義以上に悪くない制度もみつけていない”
って話をどこかで読んだ気がする。
中国の人々が自分たちなりに統治機構の改革に向けて努力する向きは歓迎したいし、
その結果、中国の民主主義が日本や米国のものと多少異なっても良いのではないか。

◆民主主義はいかなる社会条件下で機能するのか
最後に、なんとなく考えてきたことをまとめてみると、
①社会的連帯もしくはある程度の同質性
※歴史と土地に根差した民族が国内に散在している社会では、選挙を行ってもその結果が国というより自分たちの民族を利する政策の選択につながりやすく、民主主義が機能しにくいのではないか。
②国民の平均的な教育水準の高さ
※投票権を持つ一人一人が、財政や外交についての基本を身に着けることが重要なのではないか。そでないと、極度に排外的な政策が選択される可能性や、放漫財政を招く危険性が高くなり、持続的に民主主義が機能することを危うくする可能性も。
③法による民主主義のチェック
※時には多数が誤ることもある。大きな決定を下すときには、それが拙速になされるのを防ぎ、あまりにも正義等の観点に照らして問題がある決定が下された場合はそれを止める力が存在することが、持続的に民主主義を機能させる上で重要なのではないか。その観点から、民主主義体制下では、司法権が多数決の仕組みを監視・牽制できることが重要だと思う。

※少し話は変わって、大陸系の学生と比べて香港やマカオの学生は、
韓国や日本の学生と感覚が近い人が多い気がする。
その繋がりってわけでもないけど、香港を舞台にした映画「天使の涙」に出てきそうな一曲。

2013年3月17日日曜日

日韓の宗教と文明―Multi/Mono God Culture?

韓国の寺では祈りの歌が聞こえた。
日本の読経と異なり調べがある。
なんだかコーランに近い感じだ。

「文明の衝突はもうよんだ?」
そんな感じで韓国人の友達に話を振られ、
日韓の宗教について考えることに。

韓国の場合、人口の約3割がキリスト教を信仰している。
日本の場合、キリスト教を信仰するのは人口の約1%だ。
なぜこのような違いが生じたのだろう?

①近代化期に韓国の知識人の多くはアメリカに渡った。対して日本の知識人の多くはヨーロッパに渡った。
②現在でも、韓国でトップクラスの大学であるヨンセ大学やイファ大学はミッション系。
⇒韓国の知識人はよりキリスト教に親和的であったのではないか?

③韓国では朝鮮戦争期以降、急速にキリスト教が広まった。アメリカ政府の積極的なキリスト教布教も行われた。
⇒第二次世界大戦後、日韓ともアメリカの影響を強くうけたが、日本は神道など強い宗教があった一方で韓国にはそのような宗教がなかったのではないか?

そんな感じの話を何人かでガヤガヤやっていると、
「日本もキリスト教を受け入れていればあんなことはなかったのにね。」
って感じで韓国系アメリカ人の友達が話を振ってきた。

日本が明治期にキリスト教を受け入れていれば日本の第二次世界大戦に対する関わり方は違ったものとなったのだろうか?
それはそれで興味深いテーマだと思う。
一方で、知識を受け入れても日本古来の精神を守ろうとした日本に日本らしさみたいなものを感じた。

「アジア諸国の中でいち早く産業化を達成した日本は尊敬に値する。」
有難いお言葉を頂戴しながら思ったのは、日本の多神教の伝統だ。
日本は多神教の文化を持つから海外の文明を接受する時に過去を否定する必要が少なかった。
だから、海外の文明を受け入れる時も国内の摩擦少なくそれを受け入れることができる。
一方で、新しいものを受け入れて過去を否定するのは苦手なのではないか?

韓国では戦後処理について日独の比較がよく行われるが、
過去を現在に引き継いでいくのは日本らしさの一つだと思った。

日本の地域研究の授業で読んだ「菊と刀」によると、
日本は精神の物質に対する優位を叫んでアメリカと戦ったらしい。
物量では負けるとわかっていても、精神はそれを凌駕する。
そう信じて大敗し、多くの犠牲者や反省を遺した。

一方で、精神と物質の対比という文明批判の視線は、今にも肯定的な形で活かすことができるのではないか。
環境問題がクローズアップされている現代において、日本が持つ価値観や技術を活かしたい。

ソウル大のキャンパスアジアプログラムは熱い。
朝まで飲み明かした後に寺の見学を入れていろいろ話す。
そんな感じでプログラムを組んでくれた実行委員の友達に感謝したい。