2013年4月26日金曜日

靖国神社参拝を考える

◆本質的な批判
国を守るために戦った方に敬意を表するのは正しいとして、
①虐殺や強姦を行った方
②重大な意思決定上の過失を犯した方
に対しても敬意を表すべきかということ。

靖国神社の問題点は①②の行為を犯していない、
純粋に国や家族を守るために戦って亡くなった方と、
①②の行為を行って亡くなった方が一緒に祀られていることだ。

更に進むと、国を守るために死んだのであれば、
①や②の行為を行っても許されるとする考え方を、
より良い国を創るために継承すべきかということだ。

僕は日本には一流の国になってほしいと思う。
一流の国であれば、軍規を乱した兵士に敬意を表するだろうか。
一流の国であれば、判断を誤った指導者に敬意を表するだろうか。

一流の国であれば、上記二者に対しては厳しい批判を行いながらも、
そうでなく純粋に国を守るために戦った方々に対しては敬意を表するものだと思う。

◆戦後から受け継がれている課題
戦後日本は、上記の区別をきちんと行わずに来た。
これについては与党であった政党の不作為が問われるべきだ。
更に、近年においては首相や国会議員の有志連合が公式参拝を繰り返していることである。

この実害としては周辺諸国との協力が阻害されると共に、
アメリカを始めとする同盟国から、アジアの安定化や北朝鮮への関与について日本は
国際社会と一致して政策を進める気概があるのかという不信感を抱かれること。
このような外交上の損害が生じることである。

靖国神社に参拝した政治家から国内及び国際社会に対して語られるべきは、
①②の方に対しても、敬意を表することが許されると考える理由であろう。
更に進んで、第二次世界大戦を日本がどのように評価しているのかということをはっきりと語って、
国際社会との合意形成を行うことであろう。

かかる点をあやふやにしたままで、なし崩し的に参拝を繰り返すのは、
一流の国、日本を創るためになすべき行為ではないと思う。
また、今は北朝鮮に対して北東アジア諸国が団結して向き合うべき時ではないだろうか。

◆日本を離れて生活してみて
 靖国神社参拝は、国内向けには選挙対策上のアピールなど、一定の効果をあげられる行為かもしれない。しかし同時に、国際社会でビジネスを行う方や生活を行う方には決してプラスには働かない。
 バス停で日本語を話していると「3.1独立運動の前後に日本語を話すのはやめるべきだ」と注意されたり、レストランでガンをつけられたりといった経験が以前より増えたと感じる。もっとも、話し合おうとする方に対しては日本の立場を丁寧に説明し、偏見を持って接してくる方には気合で返すことで対応するので問題はないと言える。ただ、中国等では状況はさらにひどいと聞く。
 「何々人」というカテゴリーに対して敵意を向ける行為は、見識のある行為ではないだろう。個人によって考え方は様々であり、それに対して議論するなり批判するなりを行うべきだ。これは、日本国内の一部の人にもあてはまることだし、そのような行動をとる人ほど、問題について限られた理解しか持っていないと思えてならない。

※関連1;中国や韓国の学生の靖国神社参拝・領土問題に対する考え方
※関連2;For foreign reader, "How Japanese people look WW2?", brief introduction.