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2016年2月20日土曜日

台湾

・経済は中国みたいにエネルギーがあるわけではない。
・しかし街は全体的にクリーンで、日本や韓国と比べても格差は少ないように感じた。
・ビルはそこまで高くない。
・町の人は親切な人が多いと感じた。
・基本的に日本みたいな感じ。韓国より更に日本に近いと思う。
・全体的にゆったりとした雰囲気も流れていた。
・ウィルバックコーヒーがうまかった。店の雰囲気も隠れ家という感じで地元の若い人が集まっていた。
・屋台もうまかった。夜中までやっており、街の人がよくかっていた。あたったけど。
・英語より日本語が通じた。彼女が片言の日本語で台湾人と話すのが面白かった。
・街にいくとどこからきたの?とよくきかれた。「是韓国人(彼女は韓国人です)」と紹介すると若干残念そうな顔をされることが多かった。親日家がかなり多いのかもしれない。
・日本の植民地支配についての感情が韓国と台湾ではかなり違うのではないかと感じた。
・淡水にいった時、happyを演奏してるストリートミュージシャンがいた。思わず手を叩いた。彼とは西門店でも遭遇した。なんとなく縁を感じた。

・台湾で一番刺激、というか緊張を感じたのは本屋だった。24時間オープンの本屋があり、そこはジュンク堂みたいな雰囲気で(それよりさらに良いかも)、テーブルとかもあって本が読みやすいところだった。政治の本とかもいろいろ充実しており、民主主義についての古典とか、中国の分析の本とかがあった。なんとなくそれらのコーナーの前にたつと緊張した。
・本屋で新台湾主張という李登輝元総統の本をかった。漢字なのである程度意味がわかる。しかも日本語版もあるのでamazonで購入した。
・李登輝元総統は植民地時代の台湾で育ち、京都大学に入学し、将校として第二次世界大戦を戦った人物。大戦で兄弟をなくしているが、靖国神社について好意的な見解を述べているところが印象的だった。また、日本の教育や公共を大切にするところなど、総じて日本を高く評価しているところが印象的だった。
・李登輝元総統は農業経済学の教授であり、アメリカ留学中に執筆した論文がアメリカで最優秀賞を受賞したことが為政者の目にとまり、それが政治家としてのキャリアのきっかけとなった。総統在任中は学生運動の当事者と直に話したり、古い政治家の引退をただしたりして台湾の民主化を実現させた人物。とにかく、「公のため」という姿勢が著書から滲み出ていた。
・台湾は李総統→陳総統→馬総統をへて、新たな総統が誕生したところ。この間、政党の腐敗や中国との統一加速化、格差拡大や台湾の人々の中台統一への反発の流れをうけて今に至る。
・中国の政治改革や日本の安全保障を考える上でも台湾は重要な場所だと思う。そして、環境政策の点でも、日台の政策協力はフロンティアの一つだと感じた。


2015年12月28日月曜日

シリコンバレー

本を読んでシリコンバレーにいきたいと想い、
ボーナスが出たので超短期だけどサンフランシスコを訪れることにした。

仁川空港から飛行機で約9時間。
小説を読んだり映画を見たりしてると割とすぐつく。

おそろしく待たされた入国審査と両替を終えて市内へ。
疲れていたがさくっとチェックインを済ませて再び来た道を戻ってスタンフォードへ。

列車で寝過ごしたたためマウンテンビューで下車。
様々なレストランが並んでいるストリートがあるのでとりあえず歩く。
民家を改築したような二階建ての喫茶店に入る。

500円くらいのコーヒーを買って二階席へ。
みんなマックをやっている。
中央のテーブルはグループ用になっていて、
マーケティングの話とかがきこえてくる。

wifi使い放題、電気使い放題、居座り放題。
少し控えめな音量で音楽が流れている。
作業がめっちゃはかどる。こういう喫茶店が日本にも欲しい。

お客さんは小声でビジネスの話をするか、
一人で集中してプログラミングとか執筆をやってる感じ。
かっこいい。自分もプログラミングできるようになりたい。

サンフランシスコは割と寒く、空は秋のように高く乾いている。

※バークレーからサンノゼを歩いてみて思ったこと。
 サンフランシスコ周辺にはホームレスが多い。バークレーは学生とヒッピーとホームレスの区別がつけにくいくらいだ。夜出歩けば必ずホームレスから小銭をくださいと言われる。シリコンバレーは中国などと比べ全体的に元気のないアメリカ西海岸一帯の中にこじんまりとあり、そこで人々は祈るかのようにmacに向き合っていた。組織からの自由→労働からの自由など、起業してお金をがっと稼いで経済的自由を確立するという生き方は、なんとなく現代版の「解脱」といえなくもないような生き方だとおもった。ヒッピーからホームレスになるか起業して経済的自由を勝ち取るか。そういう選択があるようにも感じた。

※マウンテンビュー
 スタンフォードの街も活気があったけど、よりおちついていて、起業家っぽい人が多いのはマウンテンビューだと思う。通りではサンタクロースの帽子をかぶったベンチャーキャピタリスト風のおっさんがいたりもした。また、カフェでは人々がコツコツとリサーチやコーディングに取り組んでいた。印象的なのはトイレ。自分がいったカフェはトイレが一つしかなかったので常に行列ができていた。そして、トイレから出てくるとき、前に入っていた人が「お待たせ」っとかいって肩をポンと叩いて来た。若干「触るなよ」と思わなくもなかったが、流石シリコンバレー。人々は適度な社交性があるなと感じた。行く前まで自分は映画のソーシャルネットワークに出てくるような、おたっきーで超エネルギッシュな人があふれてるのがシリコンバレーだと思っていた。でも、自分がみたシリコンバレーはもっと真面目で、コツコツと努力している人が多いという印象だった。

※レッドロックカフェ
 マウンテンビューのレッドロックカフェのような喫茶店がもっと日本にもたくさんできれば良いのにと思った。二階席があり、wifi、電源使い放題でコーヒーは300円+チップ。チップは数セントから2ドルくらいまで選べる。お客さんはリサーチ、コーディング、読書とかをやりたい人が集まっていて、作業がやりやすい。音楽や話し声もきこえるが周りを配慮して控えめな音量となっている。コーヒーはラウンジとかにたまにあるような大き目のタンクにあらかじめ入れてあり、お金を払って紙コップをもらい、自分でつぐ感じ。そこそこ美味しい。また、壁には絵が飾ってあって、そういったスペースを提供するところからもお店の収益をつくっているんだろうと感じた。自分はチップは一番小さな額を選択したけど、次にいったら間違いなく2ドルくらいのチップを喜んで払うと思う。それくらいいい空間を提供しているカフェだった。

※アジアの時代
 アメリカにいったとき、不思議と海外にきた感じがしなかった。サンフランシスコは人口の3分の1くらいがアジア系ってのもあるかもしれない。でも、それ以上に、アメリカが日本と同じような成熟国で日本と同じような課題を抱えている国だからなんじゃないか。国として元気があるのは、中国やインドだと感じた。北京の人々は日本と同じくらい、それかそれ以上に最先端かつお洒落な若い人が多いと感じた。古い民家を改修してつくったチェーン店のカフェの中には誰でも読める英字新聞があり、モードなファッションの男女のグループがipadをみながら話し合いをしていた。また、孔子カフェという喫茶店では猫や謎の煙に包まれつつ西洋人や中国人がmacを開いてコーディングをやったりビジネスの話をしていた。シリコンバレーより声はでかく、エネルギッシュかつ詩的な感じもした。インドはまだまだ発展途上国だと感じた。だけどインド映画とかをみると、この国の人々が抱いている希望とかを感じる。インドの場合スタバはコンノートプレイスに一軒くらいしかないんじゃないかという感じもするけど、スタバの前にはセキュリティーがたっていて、スタバの中には凄くお洒落に着飾ったインドの人々とか、留学帰りっぽいインド人がコーヒー片手に英語で電話しながらPCをカタカタやっていた。

※雇用問題
 アメリカに行って感じたのは雇用問題の深刻さだ。韓国でも雇用問題は深刻であり、中東情勢の混迷の背景にも雇用問題があると言われている。IT化を進めつつ、いかに新たな雇用を創出していけるか、人々の就労スキルをいかに高め続けていける仕組みをつくれるかが世界的に大切な課題だと感じた。

※日本人の強みとしてのロジ力
 やるべきことを迅速に正確にやる。これは日本人の強みだと思った。アメリカと比べても中国と比べても韓国と比べてもそうだと思う。だから、同じシステムを使うのであればレストランの運営とか空港の運営とかをやらせれば日本人が一番迅速に多くのお客さんをさばけるんじゃないかと思う。だけどロジとかはAIとかでも代替が可能な分野なんじゃないか、アメリカではロジが比較的苦手な人が多い分、新たなシステムの開発とかAIの導入に力をいれているんじゃないかと思ったりした。一方、アメリカの雇用問題は深刻であり、かつ、社会の活力はアジア諸国の方にあると感じた。あと、アメリカの強みは優秀で野心に溢れた移民を惹きつけて受け入れているところにあると思う。だけど、それはアメリカに生まれたそこまで野心がなかったりする個人にとってはきついところでもあるんじゃないかと感じた。入国審査の厳重さとかをみると、アメリカが人を受け入れるキャパに少しづつ限界がきているんじゃないかと感じたりもした。もっとも、アメリカは内向きになったりオープンになったりする国だと思うので、今度の大統領選挙の結果次第でまた変化があるのかもしれない。夜のサンフランシスコでは元気のない白人のホームレスが道にうずくまっており、スタンフォードのキャンパスでは誇りにみちた中国系の若きエンジニアって感じの人がバックパックを背負っていき揚々とキャンパスを闊歩していた。

※刀屋
 サンフランシスコにめちゃめちゃ混んでるラーメン屋があった。年末の日曜日。他の店が結構しまってるせいもあると思う。だけど他のオープンしているアジア系のお店とか他のお店とかと比べても群を抜いて長い行列ができていた。メニューはラーメンと刺身系とお酒。海賊みたいな風貌の日本人もしくは日系人のおじ(い)さんの二人組がリーダーって感じで若いインド人風や日系人風の男女の店員が会計とかフードを運んだりしていた。寿司は既に売り切れであった。焼酎も半分以上品切れであった。刺身はそこそこ旨く、ラーメンはスープは甘い系で美味しいけど麺は西洋風なのか超ソフト。日本にはもっとうまいラーメン屋がごまんとあると感じた。だけど、めちゃくちゃ流行っていた。アメリカにあるのに暖簾は刀屋。ローマ字とかで振り仮名とかはうってない。二人組のおっさんは海賊といった感じの風貌で気骨を感じた。どこで戦うかも大切だし、それ以上に志と気骨をもって勝負する姿勢がカッコいいお店だと感じた。

2015年9月23日水曜日

ヨンナムドン

 ソウルの新しい名所としてヨンナムドンがある。ここは、パク・ウォンスンソウル市長の肝入りでできた場所ということで、ホンデに隣接した地区にある。ちなみにホンデは韓国の渋谷といった感じの街で、芸術大学やクラブや雑貨店などがいろいろとあるエネルギッシュな街だ。

 ヨンナムドンはホンデの外れの薄暗い市街地を抜けたところにある。中心が小さな公園となっていて芝生の道があり、その周囲に石畳のイスやベンチがあり、かつ、その場所をレストランやバーが囲んでいる。ヨンナムドンの入り口には輸入ビールやワインを揃えた店があって、ビールをのみながらあたりを散策することができる。

 中央の公園にはシートをもってきて月見をやっているグループや、家族づれ、カップルがいたりする。周囲のレストランやバーも基本的にオープンな構造でスタイリッシュなところが多い。また、ベリーダンンス教室でもあるのか、独特の衣装を身に付けたグループが行き来したりもする。

 ヨンナムドンをこえると中華街と旧市街地に入る。中華街は、台湾系なのか、台湾を冠したお店が多い。また、旧市街は迷路のように入り組んでいるけど、ところどころにバルや小物屋があったりする。その区域を抜けたところにヨンセ大学があり、あたりには学生も多い。

 ソウルの街を歩くと活気があると思う。ソウルだけでなく、ソウルに隣接する仁川にもいろいろと賑やかな場所がある。仁川のソンドには環境投資を行う国際機関(GCF)のアジア支部もあり、海辺の地区で高級マンションやホテル、アウトレットの開発が進められている。ジュアンもなぜ人が多いのかはよくわからないけど、酒場とかホテルとかが密集した歓楽街があったりする。

 ソウルは東京から2時間半ほど。個人的にはLCCの便がもっと増えて、より安価にいける体制が整備されればよいと思う。

2014年12月25日木曜日

バンコク、ニューデリー

 バンコクとニューデリーに行ってきた。短期間に二つの都市を見たことで国の発展の度合いがどうして異なるのかに関心をもった。バンコクでは街に活気があり、高層ビルなども立ち並んでいる。しかしニューデリーは街中がスラムといった趣である。早朝のニューデリーを歩けばお祈りの歌が聞こえる。ところどこでたき火をしている人がいる。インドの朝は暗い。

 延々と歩いてナヤーム川に向かう。毛布にくるまってぴくりとも動かない老婆。白い牛が大きな荷物を引いて道路を渡る。基本的に信号はなくバイクの切れ目を見て全力疾走で道路を渡る。オートリキシャ―の運転手がひっきりなしに勧誘してくる。地図をみたら勧誘される可能性が高まる。とにかく歩くのにもエネルギーが必要。カフェはない。唯一あるのはコンノートプレイスのスタバくらいである。ただ、朝もやに包まれた川の景色は壮大で、鳥が無数に宙を舞っている。
 
 ナヤーム川の周辺にはビニールシートで屋根をつくったような小屋が散在している。小さな集落のようだ。そこから自転車を担いだ子供たちが登ってくる。制服を着ており、学校にいくようだ。

 インドは技術や資本集約型の産業に政策資金を集中させたようで、初等教育にはあまり資金を投資してこなかったとのこと。ここが中国との政策路線の違いとのことである。インドは中国以上に格差が激しいと感じた。一部の人は英語とIT技術を使いこなしスタバなどでも働いているが、道端で物乞いをしている人も多い。

 また、民族間の対立も深刻なようであった。自分の滞在中もテロ事件がおきたらしく、空港に入るには兵士に航空券を見せる必要があった。出発の三時間前まで空港に入れない。空港の周辺には簡単なカフェが二軒ある程度。もうすこし空港周辺の商業施設を充実させれば外貨を稼げるのではないかと思った。

 北京に行ったときは、日本ともうあまり変わらないと感じた。しかし、ニューデリーに行ったときは、まだまだインドには発展の余地があると感じた。インドは日本にとって、安全保障上重要な国でもある。ただ、インドが大きな役割を果たせるようになるまでは、もう少し時間が必要なのではないかと感じた。インドは日本と同じく資源輸入国である。再生可能エネルギー分野での協力は、日本とインドにとってwin-winの分野なのではないだろうか。