2013年3月17日日曜日

日韓の宗教と文明―Multi/Mono God Culture?

韓国の寺では祈りの歌が聞こえた。
日本の読経と異なり調べがある。
なんだかコーランに近い感じだ。

「文明の衝突はもうよんだ?」
そんな感じで韓国人の友達に話を振られ、
日韓の宗教について考えることに。

韓国の場合、人口の約3割がキリスト教を信仰している。
日本の場合、キリスト教を信仰するのは人口の約1%だ。
なぜこのような違いが生じたのだろう?

①近代化期に韓国の知識人の多くはアメリカに渡った。対して日本の知識人の多くはヨーロッパに渡った。
②現在でも、韓国でトップクラスの大学であるヨンセ大学やイファ大学はミッション系。
⇒韓国の知識人はよりキリスト教に親和的であったのではないか?

③韓国では朝鮮戦争期以降、急速にキリスト教が広まった。アメリカ政府の積極的なキリスト教布教も行われた。
⇒第二次世界大戦後、日韓ともアメリカの影響を強くうけたが、日本は神道など強い宗教があった一方で韓国にはそのような宗教がなかったのではないか?

そんな感じの話を何人かでガヤガヤやっていると、
「日本もキリスト教を受け入れていればあんなことはなかったのにね。」
って感じで韓国系アメリカ人の友達が話を振ってきた。

日本が明治期にキリスト教を受け入れていれば日本の第二次世界大戦に対する関わり方は違ったものとなったのだろうか?
それはそれで興味深いテーマだと思う。
一方で、知識を受け入れても日本古来の精神を守ろうとした日本に日本らしさみたいなものを感じた。

「アジア諸国の中でいち早く産業化を達成した日本は尊敬に値する。」
有難いお言葉を頂戴しながら思ったのは、日本の多神教の伝統だ。
日本は多神教の文化を持つから海外の文明を接受する時に過去を否定する必要が少なかった。
だから、海外の文明を受け入れる時も国内の摩擦少なくそれを受け入れることができる。
一方で、新しいものを受け入れて過去を否定するのは苦手なのではないか?

韓国では戦後処理について日独の比較がよく行われるが、
過去を現在に引き継いでいくのは日本らしさの一つだと思った。

日本の地域研究の授業で読んだ「菊と刀」によると、
日本は精神の物質に対する優位を叫んでアメリカと戦ったらしい。
物量では負けるとわかっていても、精神はそれを凌駕する。
そう信じて大敗し、多くの犠牲者や反省を遺した。

一方で、精神と物質の対比という文明批判の視線は、今にも肯定的な形で活かすことができるのではないか。
環境問題がクローズアップされている現代において、日本が持つ価値観や技術を活かしたい。

ソウル大のキャンパスアジアプログラムは熱い。
朝まで飲み明かした後に寺の見学を入れていろいろ話す。
そんな感じでプログラムを組んでくれた実行委員の友達に感謝したい。


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